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トールが、猫を持ち上げられない。
えっ。あの、ハンマーを振るう雷神が?
北欧神話の紹介でこの場面だけ見ると、猫がよほど重かったのか、トールが急に弱くなったのか、ちょっと困るよね。しかも、この旅では角杯を飲み干せず、老婆との取っ組み合いでも膝をついてしまいます。
でも、ここで「今回は三連敗でした」と閉じるの、待ってーー!
角杯の先には海。猫の姿の向こうには世界を囲む大蛇。そして、老婆の正体は老い。あとで明かされる相手を知ると、さっきまで小さく見えていた結果が、とんでもない大きさへ変わるんです。
この記事では、スノリのエッダを英訳したRasmus B. Andersonの『The Younger Edda』、47・48節を手がかりに、ウートガルザロキの城で起こる試練を追います。結末まで触れるので、初めて自分で読みたい人は、その二節を先に開いてもいいよ。
名前を全部暗記するより、試されたことと、あとから分かったことを並べよう。あの猫、そこへ戻ってもう一度見ると、ずいぶん違う姿に見えてくるはず。
まず城へ。ロキとウートガルザロキは別の登場者だよ
名前から、軽く整理しようか。
今回の城の主はウートガルザロキ。トールの旅に同行しているロキとは、別の登場者です。英訳では城の主がUtgard-Loke、同行者がLoke。似た名前を見て、同じ人物がトールを連れてきた、とまとめないでおこう。
47節に入ると、一行は大きな城へ着きます。門は閉まっていて、トールでも開けられない。そこで一行は格子の間を通って中へ入り、さらに広間へ進みます。最初から、いつもの大きさの感覚が揺らぐ入口なんだね。
広間には、とても大きな者たちが座っている。迎えた城主はトールを見下すような言葉を投げ、並外れた技がなければ滞在できないと告げます。ここから勝負が始まりますが、トールが最初に腕力を試すわけではありません。
先に出るのは、同行者のロキ。
ロキは早食いの腕を申し出て、ロギと向かい合います。肉の入った器の両端から食べ、真ん中で出会う。そこだけなら、互角に見えそうでしょう?
ところがロキが食べたのは、骨についていた肉。対戦相手は肉も骨も、器まで消費しています。食べた範囲が違うので、ロキの負けとされます。えええ、器まで含むの?と、ここで読む側も勝負の物差しへ引っかかるところです。
次はシャールヴィの走る競争。相手はフーギです。英訳ではThjalfeとHugeという表記なので、ほかの本で名前が少し違っても、走っている役割を合わせれば追えます。
競走は三度行われ、フーギが先に着きます。一方、城主はシャールヴィの速さそのものについては認める言葉も述べます。だから「遅い人が来て負けた」と縮めると、本文にある評価を落としてしまう。速い、それでも勝てない。この不思議を置いたまま、次へ進もう。
この二つの勝負には、翌朝の説明があります。ロギは燃えさかる火で、フーギは城主の思考だった、と明かされます。骨や器までなくなることと、足の速さでは追いつけないこと。それぞれの相手が分かると、勝負中の違和感に戻れるんです。
ここでおすすめしたいのは、ロキ・ロギ・ウートガルザロキを、一行ずつ違う欄へ書くこと。「ロキに似た名前が多い」だけで投げ出さなくていいよ。同行者、早食いの相手、城主。この役割の三つなら、次に誰が動いても見失いにくくなります。
日本語で話を探す入口には、谷口幸男著『エッダとサガ―北欧古典への案内―』があります。新潮社の目次には「トールとウートガルザロキ」という項目が確認できます。今回の城での話へ進みたい人が、目次から選べる案内書です。
「トールとウートガルザロキ」の項目がある『エッダとサガ』を楽天で探す
なかなか減らない角杯。先が海につながっていたら?
さあ、トールの番です。
申し出るのは飲む勝負。持ってこられた角杯は、トールの目には非常に大きくは見えないけれど、長い。城主は、一回で空にすれば上出来、二回で飲む者もいる、三回で空にできないような飲み手はいないという趣旨のことを言います。
いきなり比較の基準を置かれているんだね。
この順番を覚えておくと、トールがただ喉を潤す場面ではないと分かります。何回でできるかを先に示され、本人の力についても見られている。その状態で、角杯へ口をつけるんです。
一度目は、力いっぱい飲む。それなのに、減ったかどうかも判断しづらい。二度目も思うほど減らず、三度目には目に見えて減ったものの、空にはできません。トールはそこで角杯を返し、それ以上は飲みません。
ここ、「全然減らなかった」と覚えないでね。
三度目には、見て分かるほど減っています。空にできなかったことと、何も変わらなかったことは違う。あとからの説明を読むと、この小さな違いが、ものすごく効いてくるんです。
翌朝、城を出てから、ウートガルザロキは角杯の一端が海に入っていたと明かします。
海。
そりゃ、角杯一つを飲み干すつもりでは終わらないよーー!
しかも、この英訳では、トールが飲んだことによって海が低くなり、それが引き潮と呼ばれるのだと語られます。さっきの「少し減った」が、海へ移される。この大きさの変わり方こそ、種明かしの読みどころです。
引き潮という、城の外で目にするものへ話がつながるのも見てほしいところ。城主は、海辺へ行けば飲んだ分だけ海が低くなったことを見つけるだろうと述べます。広間で見えていた角杯を返したあとも、その勝負の跡は、物語の中の海へ残るんです。
読むときは、角杯の場面の横へ「空にはできない/三度目には減る」と書き、そのあとに「海へつながる」と足してみてください。先に海の正体だけ覚えるより、結果がどう変わって見えるかを残せます。
城主が言った三回という基準も、戻って見たいところ。トールが何を相手にしているか知らない間に、城主は評価する言葉を重ねています。物語の説明と、勝負の場で相手が示す評価は、同じものとして読まなくていいんだね。
案内書を手に取るなら、角杯だけの豆知識を探すより、今回の訪問全体を扱う項目へ進もう。先ほどの早食いと競走も合わせると、後半で明かされる仕組みが、トール一人の試練だけではないと分かります。
猫の足が一本浮く。その一本が大蛇の話に変わる
角杯の次に出てくるのが、猫です。
城主は、こちらの若者なら遊びのように持ち上げるものだという趣旨で、猫を持ち上げる試練を出します。現れた猫は灰色で、かなり大きい。トールが手を腹の下へ入れて持ち上げようとすると、猫はその動きに合わせて背を曲げます。
手を上げても、上げても、床から離れない。
とうとうトールが手を伸ばせる限りまで伸ばすと、猫の足が一本浮きます。試練はそこで終わり、城主は猫が大きくトールが小さいという方向で評します。
持ち上げることができたか、だけなら成功とは言えない。でも、足は一本浮いた。角杯と同じように、結果を一段細かく残すと、翌朝の説明がそこへ届きます。
正体は、ミズガルズの大蛇でした。
世界を囲む大蛇が、猫のように見えていた。ウートガルザロキは、その足が浮いたのを見た者たちは恐れたと説明し、トールの手が天へ近づくほど高く上がったことを語ります。試練の最中に聞かされた小ささと、あとで説明される大きさが、ここでも逆転します。
猫を抱く程度の話だと思っていたら、相手の大きさが世界まで広がる。
わあ、そこで一本なのか!と、前の段落へ戻りたくなるところです。足が全部浮いて完全に持ち上がった、と盛ってしまうと、この逆転の手がかりをかえって失います。
ミズガルズの大蛇には、トールが舟から釣り上げようとする別の話もあります。でも今回は、牛の頭を餌にする釣りの場面ではありません。猫の姿に見えて、持ち上げる試練の相手になる訪問の場面です。同じ大蛇でも、登場した出来事を分けておこう。
絵やあらすじを見比べたいときは、猫の背、トールの手、浮いた足の三つを探すと、今回のどこを描いたかがつかめます。すべての絵で同じ配置になるとは限りません。まず図の題名や解説を読み、今回の場面として紹介されているかを確認しよう。
文章へ戻るなら、試練の段落では猫、種明かしの段落では大蛇、と二つの呼び方を残す方法が便利です。先に全部を「大蛇」と書き換えない。トールから何が見えていたかと、読者があとから知ることを、一緒に潰さずに済みます。
日本語の本でミズガルズ、ミッドガルドなど表記が違っていても、世界を囲む大蛇という役割と、その場面を合わせてください。表記の違いを全部別の怪物にしてしまうと、この話の楽しさへ戻る前に名前で疲れちゃうからね。
老婆エリとの取っ組み合い。膝をついても、そこで終わらない
最後の試練では、怒ったトールが取っ組み合いの相手を求めます。そこで呼ばれるのが、城主の養い親だという老婆、エリ。英訳の名前はElleです。
この場面、力いっぱい組むほど相手がしっかり立つ。さらに相手が動き始めると、トールは足場を失い、激しく争った末に片膝をつきます。城主が止めに入り、ほかの者へ挑む必要はないと告げます。
ここ、膝がつく前の動きも見てみて。トールが強く組む、相手が立つ、今度は相手が動く、トールが足場を失う。力を入れた量だけでは勝負が進まないことが、短い場面の中に順番で描かれています。
その夜、一行は城でもてなされ、翌朝も食事を受けます。試練の直後、その場で全部の仕掛けがばらされるのではありません。いったん一晩を過ごし、城を出てから、城主がトールへ旅をどう思ったか尋ねる流れになります。
この間があるから、トールの受け止め方も読める。トールは自分の評判を損なったことを認め、取るに足りない者と思われるだろうという趣旨を述べます。本人が知らない正体は、まだ説明されていないんです。
そこで明かされるエリの正体は、老い。
誰も老いに勝てない、という説明が来ます。それを知ると、老婆より弱かったという一行だけでは、この試練を表せなくなる。勝ち切れなかったトールと、老いに対して片膝をつくところまで耐えたトール。同じ動きを、違う大きさから見ることになります。
角杯も、猫も、エリも、結果そのものを消してはいません。
角杯は空にならず、猫は全部持ち上がらず、トールは膝をつく。そのまま相手の正体が加わるから、読み終えたあとに、もう一度最初の結果へ戻れるんだね。単に最後は実力で全部勝った、という話ではないところです。
そして、全部分かったトールが笑って仲直りする結末でもありません。説明を聞いたトールはハンマーを振り上げますが、ウートガルザロキの姿は消える。城を壊そうと振り返っても、そこには広い平地があり、城は見当たりません。
ハンマーを上げたときには、相手がいない。振り返ったときには、城もない。試練の種が分かればそのまま相手をつかまえられるわけではなく、最後も見る場所を変えるたびに、そこへあると思ったものが消えています。入口の大きな城と、出口の平地を並べて読むと、その変化がはっきりします。
読むメモは、何をしたか、どこまでできたか、正体は何だったか、の三行で足ります。エリなら、組み合う、片膝をつく、老い。この三行をほかの二つと並べれば、負けたという結論だけでは見えなかった共通点が見つかります。
本を開くなら、まず一つの試練を前後で読み比べよう
ここまで来たら、三つの答えを暗記するより、一つだけ戻ってみよう。
猫が気になったなら、猫の試練と翌朝の種明かし。その二か所を読む。足が一本浮く、という同じ出来事が、誰の説明を聞くかでどう見えるかを比べてみてください。
英訳を使う場合は、Project Gutenbergの『The Younger Edda』を開き、47・48節を探します。47節に城での試練、48節に翌朝の説明があります。ページ内の47.や48.で探すと、長い本の途中でも戻る位置を決められます。
谷口幸男著『エッダとサガ―北欧古典への案内―』は、日本語で北欧古典へ入るための候補です。今回は新潮社の紹介と目次を確認し、この訪問の項目があることを購入の手がかりにしています。案内書の当該本文を読んだ感想や、英訳と同じ言葉で書かれているという確認ではありません。
選ぶときは、著者、書名、ISBN9784106038136を合わせてください。検索には紙、電子、中古も出るので、読みたい形式と状態を商品ページで見る。今回は同じ書名の案内書を紹介していますが、英訳の全文と同じ役割を求めて注文する本ではありません。
最初から神々の系図を完成させなくても大丈夫。今日なら、角杯の減り方、猫の足、エリとの膝。このうち、引っかかった一つへ戻れば始められます。
トールが弱かったの?と開いた話が、海を飲み、大蛇を持ち上げ、老いと組み合った話へ変わっている。同じ結果なのに、見える景色がこんなに広がる。
じゃあ、あの一本の足、もう一度見にいこう! 今度は猫の向こうに何が隠れていたかを知って読む。さっきの一行が、そのままでは済まなくなるところを、ぜひ確かめてみてね。