北欧神話のテュールとは?フェンリルに右手を差し出した軍神の物語、トールとの違い、火曜日とルーンに残る名前まで5つの視点で深く読む

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北欧神話の神さまといえば、オーディンやトール、ロキの名前がまず浮かびますよね。そのなかで、物語の数は少ないのに、ひとつの場面だけで強い印象を残す神がいます。魔狼フェンリルの口に自分の右手を入れ、その手を失った軍神テュールです。

この記事では、テュールがどんな神なのかを、スノッリの『エッダ』の英訳本文、『古エッダ』の詩、ノルウェーの百科事典『Store norske leksikon』などを読み比べながら整理しました。名前の由来、トールとの違い、右手の物語、ロキとの口論、ラグナロクでの最期、そして英語の火曜日やルーン文字に残る名前まで、5つの視点で順番にたどっていきます。原典にどう書かれているかと、後の研究者の解釈とは分けてお伝えしますね。

目次

北欧神話のテュールとはどんな神?名前と家族を整理する

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テュールは、北欧神話のアース神族に数えられる神です。物語に登場する場面は多くありませんが、名前そのものには、ほかの神にはない古い歴史が刻まれています。まずは名前と家族の伝わり方、それから名前がよく似たトールとの違いを確認しておきましょう。

Týr、Tiw、Tīwaz…名前に残る古い層

テュールは古ノルド語でTýr(ティール)と書きます。日本語ではテュール、チュール、ティールなどと表記がゆれるので、本や記事によって呼び方が違うのはそのためですね。古英語ではTīw(ティーウ)、古高ドイツ語ではZiu(ツィーウ)と呼ばれ、さかのぼると、ゲルマン祖語の*Tīwaz(ティーワズ)という形が想定されています。

日本語版ウィキペディアの解説によると、この名前はギリシア神話のゼウスや、ラテン語で神を意味するdeusと同じ語源と考えられていて、もともとは天空の神だったという説があります。また、古ノルド語のtýrは「神」をあらわす一般的な言葉としても使われていたそうです。オーディンへの信仰が強まるにつれて、テュールは最高神の座から軍神へと移っていった、という見方も紹介されていました。ただ、これは名前の語源や周辺の資料から組み立てられた推測で、北欧の文献に描かれているテュールは、ほぼ一貫して戦いの神です。

家族については、文献によって書かれ方が違います。英語版ウィキペディアによると、『古エッダ』の「ヒュミルの歌」では巨人ヒュミルの息子として登場し、スノッリの『詩語法』ではオーディンの息子とされています。「ヒュミルの歌」の英訳(ベローズ訳)を読むと、神々の宴に必要な大釜について、テュールが「エーリヴァーガルの東に住む父ヒュミルが、深さ1マイルもの大釜を持っている」とトールに教える場面がありました。訳注では、テュールの母は巨人族より神々の側に属していたのかもしれない、と推測されています。こうした食い違いがあるのも、口伝えの神話らしいところですね。

語源の話をもう少しだけ補うと、ゼウスやdeusの源にあたるのは、印欧祖語で「天空、昼の空」を意味した*dyēws(デイエウス)という言葉だと考えられています。インドの古い聖典『リグ・ヴェーダ』の天の神ディヤウスも同じ系統の名前です。北の果てのテュール、ギリシアのゼウス、インドのディヤウスが、遠い昔には同じ言葉から分かれた名前かもしれない、と思うと、神話の広がりにわくわくしますね。

トールとは別の神。混同されやすい理由

テュールとトール。カタカナにすると一文字違いで、どちらも強そうな神さまなので、同じ神だと思っていたという方も少なくないようです。Xでも、テュールという名前を見て「トールの名で覚えているあの怪力の神のことでしょうか」と驚いている投稿を見かけました。

でも、二人ははっきり別の神です。トール(Þórr)は雷の神で、ハンマーのミョルニルを振るい、巨人と戦う物語がたくさん残っています。一方のテュールは、スノッリの『エッダ』第一部「ギュルヴィたぶらかし」の第25章で、オーディンやトールとは別に紹介されています。英訳では、テュールは最も大胆で心が強く、戦いの勝利に大きな力を持つので、勇敢な人は彼に祈るとよい、と書かれていました。さらに、誰よりも勇敢でひるまない人を「テュールのように勇ましい」、いちばん賢い人を「テュールのように賢い」と呼ぶことわざがあった、とも語られています。

つまりテュールは、腕力そのものより、勇気と思慮深さを象徴する神として描かれているのですね。ノルウェーの百科事典『Store norske leksikon』でも、スノッリはテュールを勇敢で賢い神として描いている、とまとめられていました。この「勇気」の中身がいちばんよくわかるのが、次に読むフェンリルの場面です。

曜日の名前で比べると、違いがもっとはっきりします。トールの名前が残っているのは木曜日のThursday(古ノルド語ではÞórsdagr)で、これはローマの最高神ユピテルの日(Iovis dies)を置きかえたものです。テュールのほうは、次の章で見るように火曜日のTuesdayで、軍神マルスにあたります。雷を落とす天の主はトール、戦いの勝敗と誓いを司るのがテュール、とローマの人々の目からも別の神として見分けられていたわけです。
「ヒュミルの歌」には、二人が一緒に旅をする場面もあります。大釜を手に入れるため巨人ヒュミルの館を訪ねたとき、テュールは大釜を持ち上げようと2度試みますが、びくともしませんでした。最後はトールが大釜を頭からかぶるようにして運び出します。怪力の担当はトール、とこの詩もはっきり描き分けているのですね。

フェンリルに右手を差し出した物語を読む

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テュールの名前を聞いて多くの人が思い浮かべるのが、片手の軍神という姿です。ここでは「ギュルヴィたぶらかし」の英訳本文に沿って、右手を失うまでの流れと、その結末がテュール自身にどんな意味を残したのかを見ていきます。

餌をやれたのはテュールだけだった

スノッリの『エッダ』によると、ロキの子どもであるフェンリル(フェンリス狼)は、神々の手元で育てられていました。英訳本文では、狼のところへ行って肉を与える勇気があったのはテュールただ一人だった、と書かれています。ところが狼は日に日に大きくなり、予言はどれも、この狼が神々に破滅をもたらすと告げていました。

そこで神々は、狼を縛ってしまおうと考えます。最初の足かせレーディングと、次の足かせドローミは、狼に力試しだと持ちかけて巻きつけましたが、どちらもあっさり引きちぎられてしまいました。三つ目に用意したのが、小人たちが作った細いひものグレイプニルです。材料の話はこのサイトの別の記事で詳しく紹介しているので、ここでは流れだけ追っておきますね。

細くやわらかいひもを見た狼は、逆に何か仕掛けがあると疑います。そして、だまし討ちでないという証しに、誰かが自分の口に手を入れておくなら縛られてもいい、と条件を出しました。英訳では、アース神たちは互いの顔を見合わせ、誰も自分の手を差し出そうとしなかったところで、テュールが右手を伸ばして狼の口に入れた、と描かれています。

狼が暴れるほどひもは固く締まり、もう逃げられません。それを見て神々はみな笑いましたが、テュールだけは笑わなかった、と本文は続きます。彼はその手を失ったからです。日本語版ウィキペディアでも、フェンリルに餌をやる勇気があったのはテュールだけだったことと、神々が戸惑うなか自ら腕を入れたことが、第34章の内容として紹介されていました。

本文には、縛ったあとのことも細かく書かれています。神々はグレイプニルの端についた鎖ゲルギャを、大きな岩ギョッルに通して地中深くに埋め、さらに岩スヴィティで押さえつけました。それでも狼が大きく口を開けて噛みつこうとするので、剣を口に差しこみ、柄を下あごに、切っ先を上あごに当ててつっかえ棒にしたそうです。狼の口からあふれるよだれは川になり、ヴァーン(「希望」の意味)と呼ばれる、と結ばれていました。縛られた場所は、アームスヴァルトニルという湖に浮かぶリュングヴィという島だと語られています。

「人々の和解者とは呼ばれない」の意味

右手を失った場面のあと、スノッリは第25章で短く、しかし印象的な一文を添えています。英訳では、狼は手首のところで手を噛みちぎり、その場所は今では「狼の関節」と呼ばれている。そしてテュールは片手で、人々の和解者とは呼ばれない、という内容です。

「狼の関節」は古ノルド語でúlfliðr(ウールヴリズ)といい、手首を指す言葉の由来をこの物語で説明しているわけですね。言葉の起源を神話で語るのは、スノッリの『エッダ』によく見られる書き方です。

一方、「和解者とは呼ばれない」という一文は、解釈が分かれるところです。片手を失ったことで、両手をつないで仲裁するような役目はできない、とも読めますし、戦いの神は争いを収める側ではない、とも読めます。ルンド大学の学術誌に掲載された「ロキの口論」第38節を論じた論文では、テュールは和平を両者の間に「運ぶ」ことができない、という言葉遊びが含まれているのではないか、という読み方が示されていました。

この場面がこれほど心に残るのは、テュールが結果を知らずに手を差し出したのではなさそうだからかもしれません。グレイプニルが本当に切れないひもなら、狼は決して解放されず、自分の手は戻らない。そうわかっていて、神々全体のために前に出たと読めるのです。Xでも、北欧神話のなかでフェンリルとテュールの関係性がいちばん好き、という声がありました。ただ一人餌をやっていた相手を、自分の手と引きかえに縛る。そんな苦さが、多くの読者を引きつけているのでしょう。

古い北欧の社会では、争いは「民会(シング)」で話し合い、賠償を払って和解するのが大切な仕組みでした。そう考えると、テュールが和解の担い手と呼ばれないことは、彼がその場の約束ごとを守るために、和解ではなく自分の身を差し出す道を選んだ神だったことも示しているのかもしれません。フランスの比較神話学者ジョルジュ・デュメジルは、テュールの手を「偽りの誓いの担保」と見て、法と契約を司る神が、神々のために約束を破る側に立った場面だと読み解きました。

ロキの口論とラグナロクに見るテュールの結末

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右手の物語はテュールの代表的な場面ですが、その後の神話にも、テュールが顔を出す場面があります。ここでは、ロキが神々を次々にののしる詩「ロキの口論」と、世界の終わりラグナロクでの最期を読んでいきましょう。

「ロキの口論」で突かれた右手の傷

『古エッダ』の「ロキの口論(ロカセンナ)」は、海の巨人エーギルの館で開かれた宴に、招かれていないロキが乗り込み、集まった神々を一人ずつ侮辱していく詩です。詩の前書きでは、宴に来ていた神々が紹介されていて、テュールについては「片手だった。縛られたときにフェンリス狼が手をもぎ取ったのだ」と説明されています。

テュールは第37節で豊穣の神フレイをかばい、フレイは乙女も人妻も泣かせず、捕らわれた者を解き放つ最良の神だ、と弁護します。するとロキは第38節で、黙れテュール、お前は右手を失った、とやり返しました。フェンリルの父はロキなので、この言葉には意地の悪い自慢も混じっているのでしょう。

それに対してテュールは、手を失ったのは確かだが、お前もフェンリルを失った、狼は神々の黄昏まで縛られて待つ身だ、と答えます。ここで初めて、手を失ったテュールと、息子を縛られたロキとが、同じ出来事でお互いに大切なものを失っていたことが見えてきますね。

さらに『Store norske leksikon』によると、この詩のなかでロキは、テュールの妻との間に自分の息子がいるのに、テュールは慣習どおりの償いを受けていない、とまで言い放っています。テュールの妻は名前も伝わっていない人物で、英語版ウィキペディアでも、この詩以外ではほとんど知られていないと説明されていました。

この場面のロキの言葉は第40節で、英訳では、テュールはこの仕打ちに対して、償いとしての布地も銀貨も一度も受け取っていない、と嘲る内容になっています。古い北欧の社会では、名誉を傷つけられたら賠償を受け取るのが当然とされていたので、「償いを受けていない」というのは、男としての面目をつぶす痛烈な侮辱でした。このあとフレイが割って入り、口論はさらに別の神へと広がっていきます。テュール自身が言い返す場面は、ここで終わりです。宴の場でいちばん痛いところを突かれても、テュールは右手の話から逃げずに言葉を返していて、そこにも彼らしさが表れているように感じます。

このように、テュールの物語はどれも短い記述の積み重ねです。だからこそ、スノッリの『エッダ』の散文と、『古エッダ』の詩を並べて読むと、片方だけではわからなかったつながりが見えてきます。たとえば、右手を失う場面は散文で、それを皮肉る場面は詩で語られています。読み比べるなら、まず「ギュルヴィたぶらかし」の第25章と第34章、それから「ロキの口論」の第37〜39節を順に読むのがおすすめです。

日本語で原典にふれたい方には、谷口幸男さんの訳による『エッダ 古代北欧歌謡集』(新潮社、1973年)があり、「巫女の予言」「ロキの口論」「ヒュミルの歌」などの詩を読むことができます。英語でよければ、この記事で引用したベローズ訳の『古エッダ』とブロデュール訳のスノッリの『エッダ』は、どちらも著作権の切れた古い訳としてインターネット上で公開されています。訳によって神の名前の表記がずいぶん違うので、テュール、ティール、チュールのどれで出てきても同じ神だと思って読み進めてくださいね。

ラグナロクでは番犬ガルムと相打ちに

テュールの最期は、ラグナロクの場面で語られます。スノッリの『エッダ』第51章の英訳では、グニパヘリル(グニパの洞窟)の前につながれていた犬ガルムが解き放たれる、と書かれています。ガルムは最大の怪物であり、テュールと戦って、互いに相手を殺す、という短い記述です。

ここで少し不思議なのは、テュールの相手がフェンリルではないことです。フェンリルと戦うのはオーディンで、オーディンは狼に飲みこまれ、その仇を息子のヴィーザルが討ちます。テュールが向き合うのは、フェンリルとよく似た巨大な犬なのですね。

『古エッダ』の英訳者ベローズは、「ヒュミルの歌」の注釈で、テュールの二つの大きな功績として、狼の口に手を入れて神々がフェンリルを縛れるようにしたことと、最後の戦いでガルムと相打ちになることを挙げていました。勇気をもって一度は狼を封じ、最後には狼に似た怪物と刺し違える。そう並べてみると、テュールの物語は短いながらも一本の筋が通って見えます。テュールの登場はここで終わりますが、その一行の重みは、右手の物語を知っているかどうかでずいぶん違って感じられるはずですよ。

ガルムの名前は、『古エッダ』の巻頭の詩「巫女の予言(ヴォルスパー)」にも出てきます。ラグナロクが近づく場面で「ガルムがグニパヘリルの前で激しく吠える。綱は切れ、狼が走り出す」という一節が、くり返し歌われるのです。また「グリームニルの歌」第44節では、あらゆるもののうち最良のものを並べる中で、犬のなかで最良なのはガルムだと歌われています。研究者の中には、ガルムとフェンリルはもともと同じ怪物で、テュールは本来、自分の手を奪った狼と最後に決着をつける役だったのではないか、と考える人もいます。原典にそう書かれているわけではありませんが、物語の筋としてはうなずける解釈ですね。一方でスノッリは、フェンリルの相手をオーディン、ガルムの相手をテュールと、はっきり書き分けています。どちらの読み方を取るにしても、テュールの最期が「犬」や「狼」と切り離せない運命として語られていることは確かです。

火曜日とルーン文字に残るテュールの名前

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テュールの物語を知ると、身近なところに名前が残っていることにも気づけるようになります。その代表が、英語の曜日とルーン文字です。ここでは曜日の名前の成り立ちと、テュールのルーンとして知られる文字を見ていきます。

Tuesdayは「テュールの日」

英語の火曜日Tuesdayは、古英語のtīwesdæg、つまり「ティーウの日」から来ています。英語版ウィキペディアによると、古ノルド語ではTýsdagr、古フリジア語ではTīesdiといい、どれもゲルマン祖語の*Tīwasdag(ティーワズの日)にさかのぼります。この名前は、ラテン語のMartis dies(マルスの日)をゲルマンの言葉に置きかえたものだと考えられているそうです。イタリア語のmartedì、フランス語のmardiが「マルスの日」なのと、ちょうど対応しているのですね。

つまり、昔のゲルマンの人々は、ローマの軍神マルスを自分たちのティーワズと同じ神とみなしていたことになります。ノルウェー語の火曜日tirsdagも、『Store norske leksikon』によればテュールにちなんだ名前です。同じ百科事典では、デンマークや南スウェーデンにテュールの名前に由来する地名がいくつもあり、キリスト教以前にこの神が広く信仰されていたことを示している、とも書かれていました。

ドイツ語の火曜日Dienstagは少し事情が違い、民会(シング)と結びついた「民会の神」という呼び名から来たのではないか、という説があります。一方、日本語の火曜日の「火」は火星のことで、もとをたどると同じ軍神マルスの星にたどり着きます。Xでも、火曜テュール=マルス=火星、水曜オーディン=メルクリウス=水星、と対応を整理している投稿がありました。カレンダーを見るたびに、少しだけ北欧の神さまを思い出せそうですね。

ローマの人々がゲルマンの神をマルスと呼んでいた記録もあります。1世紀末のローマの歴史家タキトゥスは『ゲルマニア』第9章で、ゲルマン人はメルクリウスを最も崇め、ヘラクレスとマルスには動物をささげてなだめる、と書きました。さらにイングランド北部のハドリアヌスの長城の近くでは、3世紀ごろにフリースラント出身の兵士たちが奉納した「マルス・シンクスス(民会のマルス)」への祭壇が見つかっています。ドイツ語のDienstagが民会と結びつけて説明されるのは、この碑文があるからなのですね。

上向きの矢印ᛏ、テュールのルーン

ルーン文字には、テュールの名前を持つ文字があります。上向きの矢印のような形をしたᛏで、古いルーン文字(エルダー・フサルク)の17番目、音はアルファベットのTにあたります。ゲルマン祖語での名前は、神の名と同じ*Tīwazと推定されていて、日本語では「ティワズ」と呼ばれることが多いですね。

このルーンについて詠んだ古い「ルーン詩」が3つ残っています。ノルウェーとアイスランドのルーン詩では、テュールは片手の神だと詠まれ、アイスランドの詩はさらに「狼の残りもの」とも表現しています。フェンリルに手をかじられた物語が、文字の覚え歌にまで入りこんでいるのは面白いところ。一方、古英語のルーン詩では、夜の霧の上をたがわず進むしるし、という星のような存在として描かれていて、神の名前からは少し離れているようです。

勝利のルーンとして知られるのは、『古エッダ』の「シグルドリーヴァの言葉」第6節によるものです。勝ちたいなら剣の柄や刃に勝利のルーンを刻み、テュールの名を二度唱えよ、とワルキューレが英雄シグルズに教えます。ただし、ルーン文字の解説サイト「NorseRunes」は、この詩は13世紀のアイスランドの写本に残るもので、古いルーンが使われていた時代より数百年後の資料だと注意を添えていました。また、このルーンは20世紀にナチス・ドイツの記章にも転用された歴史があります。アクセサリーなどで身につけるときは、そうした背景も知っておくと安心です。

ᛏの文字は、のちのヴァイキング時代に使われた16文字のルーン(ヤンガー・フサルク)にも受けつがれ、12番目の文字として残りました。スウェーデンのゴットランド島で見つかった5世紀ごろのキュルヴェル石には、ルーン文字の一覧と一緒に、ᛏをいくつも重ねたモミの木のような図形が刻まれていて、まじないの意味があったのではないかと考えられています。古英語のルーン詩でこの文字が星のように描かれているのは、テュールと同一視されたマルスの星、つまり火星を指しているのでは、という解釈もあります。

テュールを知ると、北欧神話の読み方が深くなる

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テュールは登場する場面こそ少ないものの、北欧神話の大きな流れのなかで、要の位置にいる神です。最後に、この記事で読んできたポイントを振り返っておきましょう。

テュールを読むための5つのポイント

  1. 名前はTýr。古英語のTīw、ゲルマン祖語の*Tīwazにさかのぼり、天空神だったという説もあるが、北欧の文献ではほぼ軍神として描かれる
  2. 雷神トールとは別の神。スノッリは、勇敢さと賢さの象徴として紹介している
  3. フェンリルに餌をやれたのはテュールだけで、グレイプニルで縛るとき右手を担保に差し出し、手首から先を失った
  4. 「ロキの口論」では右手のことを突かれ、ラグナロクでは番犬ガルムと相打ちになる
  5. 英語のTuesdayやノルウェー語のtirsdagに名前が残り、ルーン文字ᛏもテュールの名を持つ

翻訳によってテュールの表記や言い回しも少しずつ違うので、気に入った訳を一冊手元に置いて、ほかの訳やこのサイトの関連記事と見比べてみてくださいね。次に火曜日のカレンダーを見たとき、狼の口に手を差し出した片手の神さまのことを、少しだけ思い出してもらえたらうれしいです。

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この記事を書いた人

森の語り部のアバター 森の語り部 編集担当

北欧神話の神々、物語、世界観をたどりながら、気になったことを書き留めています。

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